雅子の自分史ストーリー
前回【12話】では
妹が生まれ、あることがきっかけで
トラウマになり父への愛情飢餓に
陥っていった話でした。
父は2016年90才でなくなりました。
私はそれまで自分は父を憎んでいると思い込んで
いたのですが、憎しみではなく愛情飢餓だけだった
それに気が付いたんですね。
父への哀惜はそこから新たに始まったのでした。
で終わっています。
【13話】
小学校4年生になった時クラス替え
があり卒業するまでそのクラスが
続きました。
担任は元気の良い女の先生でした。
低学年の時、クラスの窓から外を
覗いていた時、
元気に体育を指導してる女の先生
が見えました。
とても格好が良くて、あんな先生
だったらいいなと思っていた先生
でした。
私達一人ひとりを考えてくれる
良い先生でした。
そのせいか、クラスの中はみんな
仲が良くまとまっていたと思います。
4年生の終わりに、小学校内の合唱隊
に誘われ合唱コンクールに向けて練習
に参加する事になりました。
合唱隊には幼友達が既に参加していて
羨ましいと思っていたのです。
担当の先生がその大好きな先生
だったこともありましたが、
そんな時大好きな先生が誘って
くださったんです。
音楽で歌ったのがきっかけだった
のでしょうか
練習に参加できてとても
嬉しかったのを思い出します。
練習曲を始めに歌うのですが、
初めての事で、なんとかついていく
のがやっとでした。
♪ドレミファソ、ラシドレミ〜♪
なんとか歌えるようになった頃から
最初はメゾソプラノを担当させられ
ました。
5年の最後にはソプラノで
歌えるようになっていたんです。
自分でも気持ちが良いくらい声が出て
いました。
合唱コンクールでは、ソプラノを担当
した曲で市内で優勝し、県大会に優勝
すれば関東甲信越大会に行ける事に
なりました。
県大会はレコードで録音したのを提出
して審査を待ちます。
レコードに吹き込むのに確か新潟市の
NHKのスタジオに行ったように覚えて
ます。
残念ながら、優勝ではなく2位で終わって
しまいましたがその時のレコードは皆んな
が配ってもらいました。
昨年しまっていたのを取り出したら
盤が壊れていて、残念ながらもう
聴けません。
子供達に聞かせてあげたかったのですが
プレーヤーもなく、盤も壊れてしまって
はもう無理ですね。残念です。
中学に入ったら女子にも変声期が
あるのでしょうか、
高い声どころか歌を歌えなくなって
しまいました。
高校に入って選択クラス教科を決める時に
合唱ではなく美術を選んでしまい
大好きだった先生に、どうして合唱を
選ばなかったのかと残念がられました。
小学校の時のように声が出なくなって
しまったことを話すと、本当に残念
がっていらっしゃいました。
大人になってからカラオケが流行り
出した頃久し振りに歌ったら意外と
声は出ていましたが、
小学校の頃のような澄んだ高い声
ー自分で言うのも何ですが…(笑)ー
は、もうどう足掻いても出ませんね。
合唱隊
いい思い出ばかりでした。
~続く~