「雅子の自分史ストーリー」

前話【11話】では

道路の向こう側の看板を見る為

左右確認しないで渡ろうとして

車に引かれてしまい入院して

しまったお話しをしました。

命を失うかも知れない…そんな経験を

この年迄で何回してしてきたのでしょう?

命拾いしてきたのは

後ろで守ってくださってる方のおかげ

だったのかも知れませんね。

で終わってました。

前回の記事はこちらからどうぞ

【12話】

話しが前後してしまいますが、

私が交通事故を起こした前年

小学校に入って直ぐの6月に

妹が生まれました。

母がお腹が大きいことにあまり

関心がなく、

もしかしたら、もう直ぐお姉ちゃん

になるんだよ、とか、言われてたの

でしょうが、

生まれて初めて面会に行っていって

これが妹だよといわれても

ただただ不思議でした。

まだ生まれたばかりで会った妹は

髪の毛が真っ黒で顔がクシャクシャで

ゴリラみたい、可愛くない!

何なんでしょうね。

小さい赤ちゃんを見ても可愛いと

思えなかったんです。

それでも退院してきた時は可愛くて

お人形のようにそっと触ってみたり

してました。

首が座ってからはミルクを飲ませたり

おんぶさせてもらって、後ろに倒れそう

なのを必死で我慢したりして可愛くて

仕方なかったんです。

妹が2歳か3歳になった頃でした。

以前から母と古町へ遊びに行ったときに

目に付いてどうしても欲しかった物が

ありました。

欲しいと言っても買って貰えない、妹が

生まれてからは、どうも私の要求が

通らなくなっている、幼心でそんな事を

感じ始めていたのです。

ある日父が妹を連れて出掛けて行き

帰ってきた時に、私が凄く欲しくて、

でも買って貰えなかった物を妹が持って

いたのです。

しかも可愛いベルトのついた靴まで…

その欲しかった物とは縫いぐるみの鞄

でした。縫いぐるみの背中にチャック

が付いていて鞄になっていて、手と足が

繋がっていてリュックのように背負う事

ができる物でした。

ずっとそれが欲しくて、でも買って貰

えなくて我慢していたものでした。

私じゃなくて妹に買ってあげてる…

かなりショックでした。

父に文句をいうと

「お姉ちゃんなんだから…」

と一喝されたんです。

その時の悔しさはトラウマになり

父への愛情飢餓となり、妹への愛情

さえ私から奪っていくのでした。

6歳まで親の愛情をひとりで受けて

いたからでしょうか、突如現れた

黒い頭の赤ん坊は私にとってはただ

のモンチッチに過ぎなかったのです。

父は私が長女になったことで、

厳しくしなければと思ったんだと

母が教えてくれました。

大人になってから言われたことです。

でもね、それは逆でした。

欲しかったのは厳しさではなく

甘えられる優しさだったんです。

何をやっても父に褒められることは

殆どありませんでした。

だからしっかりしなきゃ駄目なんだ

頑張ったら父に愛して貰える

そんな風に考える少女に育って

いったのでした。

父への確執はこの頃から始まった

と言えるでしょう。

妹への姉としての優しさは段々と

失われていくのでした。

年の離れた姉妹は私は私、妹は妹と、

それぞれに育っていきました。

勿論父は決して私が憎かった訳では

ないのです。

ただ、長女は厳しくしなくてはいけない

という信念があったのですね。

それも愛情と勘違いしていたのかも

知れません。

それはのちのち私が思春期に入った時

反抗という形で父を悩ませることに

なるのです。

それでも…

小学校3年生の頃だったと記憶してます

父と出かけた帰り道だったでしょうか

父が突然

「まっこや、おんぶしてみるか?」

と座って私に背中を向けたんです。

なんだか気恥ずかしくて、でも

嬉しくて父におぶさりました。

おんぶしてくれた父は

「大きくなったな〜まっこ、大きく

なったな〜」

と繰り返していました。

父の後ろ姿、背広姿の背中、

ポマードの匂い。

今も思い出すとその時の情景が

目の前にはっきりと現れます。

思い出すと涙が出てきます。

父は愛情の表現が下手だったんですね。

その時の話しをじっくりする事もなく

父は2016年に90才で亡くなりました。

最後は老健に入所していました。

寝たきりで、3か月に一度のカンファレンス

の時だけ会える状態でした。

ほとんど認知症に近い状況でしたが

母にはいつも優しい笑顔でした。

「まっこが来たよ。」

と母が言うと私を見て優しく笑う父。

自分の娘とわかっていたかどうか…

誤嚥性肺炎で入院して、熱が下がっても

もう何も食べることができず

お腹を空かせて飢餓状態で亡くなりました。

入院当初、熱で死にかけていた父。

このまま静かに逝かせてあげるのか、

胃ろうを付けて延命させるのか

医者からの選択を迫られ、母と私はそのまま

静かに逝かせてあげることに同意しました。

ところが

熱が下がり意識を取り戻した父の第一声が

「腹減った!」

だったのです。

それから約一か月空腹と闘いながら

父は亡くなりました。

亡くなる前父は苦しそうな息の中で

私を見つめていました。

「おかあさんの事心配なんだね。大丈夫だよ。

安心してね。」

そういうと軽くうなずき暫くしてから

母と私と妹に見守られながら

静かにすーっと目を閉じ亡くなりました。

そこで父へのトラウマは消えたかのようでした。

私はそれまで自分は父を憎んでいると思い込んで

いたのですが、憎しみではなく愛情飢餓だけだった

それに気が付いたんですね。

父への哀惜はそこから新たに始まったのでした。

~続く~