ヒーラープラスαの雅子です!
自分応援私ストーリー第二弾
今回は自分史ストーリーを手直し
しながら綴っております。
以前タスクに入れて載せた物に
手を加えてまいります。
(現在タスクは載せてありません)
よろしかったらお付き合いくださいませ。
【24話】では、
卓球部をやめ自分を模索する為に
色々やるのですが、結局2年生の間に
見つけることはできませんでした。
バレエまで習ったのに先生の急死で
発表会の後解散となり、
私は暇な高校生に戻ったのでした。
思春期真っ只中、そろそろ反抗期に
入っていった私でした。
「それは、
まずは父への反抗から始まりました。」
で終わっています。
【25話】
父への愛情飢餓は、高校生になって
反抗と言う形で現れたのでした。
思えば私が欲しかったぬいぐるみの
バッグを妹に買っ手上げた父への
トラウマから始まったのです。
小さい頃から父とじっくり色々なことを
相談したり話したりすることもそんなに
なかった気がします。
自分ではそんなに悪いこと言ってないと
思っても怒られたり厳しく言われる事が
多かったせいか
父に対して何かを欲するとか、甘えるとか
できない娘になっていきました。
父は小学校6年までは毎年冬になると私だけ
スキーに連れて行ってくれていました。
父とスキーに行く前の日は、父がスキーの
手入れをしてくれて、朝早くから母がお弁当を
作ってくれて、2人だけで出掛けるのです。
それはとても楽しみでした。
父も、そんな形で私を可愛がってくれて
たんですね。
でも、スキー場に行っても
絶対にリフトは乗らない、ある時はスキー場
から隣町までスキーを履いて行く、といった
ちよっとスポ根に近いスキーとなっていき、
楽しさは無くなっていってました。
どうしてそんな厳しくしたのか、
長女だから強くしたかったのか、今では
わかりません。
甘えたい時に甘えさせてもらえなかった
そんな思いが愛情飢餓になったと今だから
わかります。
ずっと自分ではわからないまま、心の
中に不満として徐々に溜まっていたの
でしょうか、それは父に反抗することで
解消したかったのでしょうか?
いつから始まったのか覚えてませんが、
反抗は色々な形で現れました。
食卓では父が箸をつけたものは食べない
返事をしない、口答えする…
そして段々エスカレートしていったのでした。
あまりにひどい口をきいて父が私を
殴ろうとしたことがありました。
「殴れるものなら殴ってみなさいよ!」
私は確かそんな風に言ったのです。
その時父は挙げた手を下ろしました。
あの時私を殴っていたらどうだったん
でしょう。
父はそんな娘が手に余り可愛くなかった
でしょうね。
父親として辛かったし、
情けなかったと思います。
そんな父と私の間で母も大変だった
ことと思います。
本当に親不孝な娘でした。
非行に走らなかったのが
せめてもの救いでした。
~続く〜