もうすぐお盆ですね。

うちは旧盆なので、8月13日からになります。

昨年は元旦に亡くなったお姑さんの初盆を弔ってお祀りしました。

迎え火も

こんな感じでつつがなくできました。送り火は撮影してなかったのでごめんなさい。

皆さんお盆はどのように過ごされますか?

実は迎え火を焚いたのは、昨年が生まれて初めての経験でした。

あの世から帰ってくる人が迷わないようにと迎え火を焚くんですね。

小さい頃はお盆になると父方と母方のお墓参りをして先祖に手を合わせたものです。

だから実家では迎え火を焚くことはありませんでしたので、
この年になって新鮮な感覚でした。

懐かしいお母様、

6人子供を産み、1人は病死しましたが、5人の子供を、お父様が急死されてから

語り尽くせない程の苦労をされて女手ひとつで育てあげました。

お盆と言えばお墓参りとなりますが、結婚してから、私が先祖の墓にお参り
できたのは一度だけなんです。

その辺の事情を書き出すととても長くなってしまうので、省略させて頂きます。

結婚してからは主人の先祖のお墓は東北で遠く、きちんとお参りできたのは
子供達が生まれた後からでした。

主人の父は、戦後事業を始め町内に貢献したものの失敗し、

山奥へ家を建てて親子7人で不自由な生活をすることになってしまいました。

子供達は朝は1時間から2時間かけて分校へ通ったそうです。 

冬は雪に埋もれながら、雨の日は川になった道を通ったそうです。

命の危険を常に感じながらの登校でした。

そんな生活でしたから諦めない不屈の精神は自ずと培われたと主人は言います。

お父様の急死で、その生活は終わりお母様の実家のある九州へ移り住みました。

5人の子を東北のその場所で育てることはできないと見切りをつけ、
お母様は暖かい九州にある実家、既に弟夫婦が継いでいた家に間借りし、
夜寝る間を惜しんで働き子供たちを育てあげました。

主人はお母様が寝ている姿を見たことはなかったそうです。

そんな気丈で強い女性でした。

自分の望む道に進まなかった主人について諦めながらも、主人が事業を失敗した時は

私に自分自身を重ねてくれたのか、至らない私に対してはいつも
優しく大らかなお姑さんでいてくれました。

昔なら長男の嫁としては失格でした。

娘3人を生んで漸く息子ができたものの病気になり、将来名前を継いで行くことは

できないことがわかっても、決していわゆるそんな息子を生んだ私に
嫁いびりは一度もありませんでした。

主人の家系は名前はここで途切れてしまいます。

世襲制度厳しい旧家でしたら、私は肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。

本当は名前を継いでくれる子供を待ち望んでいたようですが、
結局弟夫婦にも子供はできず、主人の代で終わりになりました。

それでもお姑さんは良かよか、と大らかに接してくれていました。

だから私はどんなに辛いことが事があっても、お姑さんのお陰で
主人についてこれたのだと思っています。

現在先祖の墓は東北にあり知人が墓守をしてくださってます。

お父様の骨だけ分骨して、墓は九州にあります。
主人の姉妹の家の近くに今は二人一緒に眠っています。

東北の先祖の墓など、色々問題はあります。

先日、お父様の末の妹が亡くなったので墓参りも兼ねて主人と主人の姉と弟と3人で

その東北へ行ってきましたが、全てを片付けるのはまだ先のことになるようです。

お墓の問題は昨今どの家もそれなりに難しい問題を抱えてるようですね。

今家ではお姑さんが持っていた仏壇を預かり早くに亡くなられたお父様と
お位牌を並べ、手を合わせお祈りしてます。

お仏壇って、昔は実家にはなかったので最初は正直怖いイメージがありましたが、

今は全く違和感なく、孫達もチーンと鐘を鳴らし手を合わせるようになりました。

1日一回手を合わせて祈る習慣っていいですね。

お香の香りも伴って自身の内なる心のアクを溶かして行ってくれる気がします。

二度目のお盆、お母様、お墓のある九州の娘姉妹の家と長男末っ子のいる東京と

忙しい逢瀬になりますが、皆んなで待ってますからね。

ちゃんとお迎えできるよう準備しますね。

合掌

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