雅子の自分史ストーリー
前回【30話】は
ラブレターをもらい、交際を申し込まれ
グループ交際ならと受け入れたけれど
結局バラバラになり、交換日記までやって
いたのに、付き合いは続かず終わって
しまったという話でした。
嫌いじゃないけど、凄く好きという訳でも
なくて申し訳ないことをしました。
「キスもなく、手を繋ぐ事も
ありませんでした。」
で終わってます。
手を繋ぐくらいいいのにね。
潔癖すぎました。
【31話】
私は上京して女子短期大学の
学生になりました。
住むところは短大から歩いて5分程の
短大付属の女子寮です
。
短大の建物はひとつのおおきなビルで、
大きな道路に面していて
寮は短大の横丁を入っていった
奥にありました。
寮は3階建てで20畳ほどの部屋が
教室のように並んでいました。
部屋は二段ベッドが並び8畳位の
板の間がありその奥窓際には3畳の
畳が箪笥で区切られていました。
管理人はお婆さんで、お婆さんが
飼っている猫が時々階段に粗相を
して臭いが充満するという(笑)
同室の人は2人の二年生と
他は一年生が6人
特に仲も悪くなる事もなく平和に
過ごすことができました。
母に送ってもらって、
いざさよならとなった時は
急に寂しくなった私でした。
親から離れての寮暮らし、
母との別れで寂しさを感じたのですが
新しい暮らしは物珍しいことばかり
毎日が修学旅行のようで
楽しかったですね。
ホームシックで泣いている同室の
子もいましたが
何故か私はホームシックは全く
なかったように思います。
反抗ばかりしてた父と離れたことで
気持ちは楽になっていたんでしょうね。
寮での暮らしは楽しいことばかりでしたが、
洗濯が大変でした。
お風呂はお風呂屋さんへ
それは苦ではありませんでしたが
寒い時は水道の水での洗濯は
きつかったです。
初めて買ったブラジャーを洗濯場に
干しておいたら
次の朝無くなっていたのには
びっくりしました。
しばらく気分は良くなかったですね。
東京にきて初めて地震を感じた時、
すぐ逃げ支度をしてベッドから出た私
皆んなに笑われましたっけ。
東京は地震が多いとわかったのは
その後からでしたが、本当に驚いたんです
5センチほどもあるゴキブリ、生まれて
初めて見るゴキブリにもびっくりしたものです
近くに鹿児島県人寮があって、よく大きな
ボリュームで音楽が鳴ってました。
また♪会う日まで〜♪
毎日聞こえてきた曲は尾崎紀世彦の
「また会う日まで」
その年のレコード大賞を取った曲でした。
東京って、あんな大きな音で音楽を
鳴らしてるのが似合う所なんだなあと
感心したものでした。
~続く~