自分応援私ストーリー第二弾
今回は自分史ストーリーを手直し
しながら綴っております。
以前タスクに入れて載せた物に
手を加えてまいります。
(現在タスクは載せてありません)
よろしかったらお付き合いくださいませ。
前回【26話】では
高校3年生でできた仲良しグループ
担任は私達を愛を込めて「4悪達」
と呼んでいたこと。
食べ盛りの私達はある日食べ物の梯子をして
次の日1人が盲腸になってしまった話しは
今も笑い話になってるというお話しでした。
本当に良く食べたなと思います。
お小遣いを使い果たしちゃったんですから
でも楽しかったんですね。
父への反抗はエスカレートして
いきましたが
ある出来事があってから少し私も
考えたのでした。
「そんな中、父への反抗を考えてしまう
出来事があったのでした。」
一体何があったのでしょう
【27話】
受験を控えた高校3年生なのに私達は
呑気に毎日を過ごしていました。
ある日担任から4悪は放課後来るように
言われました。
そう言えば今日はKさん休んでたけど、
何かあったのかな、まさかまた盲腸かな?
なんて呑気に話しながら担任のところへ
話しを聞いて驚きました。
Kさんのお父様が急死されたのです。
それで、そのまま担任とお参りに
行くことになりました。
まだ若い私達には親が死ぬということ
がピンとこない時でした。
そういえば、モンキーズクラブを作った
時も4人グループで、1人のお父様が
亡くなったっけ、4人グループは
不吉なのかな?
なんて不謹慎なこと考えたり
してたんです。
Kさんのお宅へ着いた時傷心の
Kさんを見て不謹慎なことを考えた
事を反省しました。
事業をされてたお父様の後を
お母様とKさんがやっていかなくては
いけなくなり
大学進学を諦め高校卒業したら直ぐに
事業の手伝いをする事になると
話してくれました。
高校だけは卒業できる一緒に卒業できる
という事だけが救いでした。
家に帰り夕食の時は、少し神妙な私
でした。
夕食の時父が箸をつけたものは
食べないと息巻いて反抗してた
私でしたが、もし、父が死んだら…
そう思うと心が少し父に寄り添ってる
気がしたものです。
それでも、父への反抗は時々
エスカレートしてしまうことが
ありました。
この反抗は、愛情飢餓から来たものだと
言う事は今だからわかるけれど、
当時は全くわかりませんよね。
思春期の反抗は結局卒業まで
続いたのでした。
~続く~