自分応援私ストーリー第二弾

今回は自分史ストーリーを手直し
しながら綴っております。

以前タスクに入れて載せた物に
手を加えてまいります。
(現在タスクは載せてありません)
よろしかったらお付き合いくださいませ。

【25話】では

父はの愛情飢餓が反抗に繋がった

お話しでした。

家に帰っては父への反抗で、楽しく

なく、父も母も私を持て余していたの

ではないでしようか?

父親として辛かったし、

情けなかったと思います。

そんな父と私の間で母も大変だった

ことと思います。

本当に親不孝な娘でした。

非行に走らなかったのが

せめてもの救いでした。

で終わってます。

【26話】

高校3年生の一年間、

父への反抗は相変わらずでしたが、

グレたり家出したり、非行に走ったり

しなかったのには、ある存在のおかげ

だったんです。

私のクラスは、進学と就職とどちらかに

決める中間のクラスでした。

だからでしょうか、クラス全体がおっとり

として私には居やすい環境でした。

既に大学進学の猛勉強する気持ちもなく

もし進学できるならそれでもいいし、

就職でもいいしと緩やかさが良かったです。

父への反抗がエスカレートしなかったのは、

このクラスで出会った三人の友のおかげ

と言えます。

最初に出会ったのはMさん、

お金持ちのお嬢様のようで、

頭が良さそうで落ち着いていて

近寄り難い雰囲気の人でした。

授業中、一生懸命ノートをとっていると

思ったMさん。ふっとノートが見えました

あら?ノートをしっかりとってるんだ

と思ったのに、書いていたのはマンガの

絵だったのです。

印象のギャップが大きくてすつかり

Mさんを好きになり、良く話すように

なりました。

小学校6年の新潟国体のマスゲームの時、

他の学校で私と同じリラグロッケンを

担当してたGさんが、同じクラスになり

たまたま、近くの席だったことで、仲良く

なり、

電車とバスで通ってるというのが新鮮だった

kさんも加わり、この4人のグループが

できたのでした。

この4人でお昼のお弁当を分け合ったり

学校の帰りも遠回りして帰ったり

試験の前にはMさんの家で徹夜で

勉強したり、かと言ってベタベタした

付き合いではなくいい距離感を保った

友情を築いたのです。

大人になってから4人で集まると必ず出る

エピソードがあります。

思い出していつも大笑いになるのです。

そのエピソードです。

学校の帰り、その日は4人で一緒に

お茶飲みしてから帰ることになり

まずアマンドという喫茶店で

スパゲッティと、パフェを食べました。

その後バスに乗って新潟駅まで来て、

お好み焼き屋さんで、小豆のせ焼き

その後リヨンというケーキ屋さんで

ケーキと紅茶を食べて

みんなでお小遣い使い果たし

でも満足してさよならしました。

次の日、登校するとGさんが、

入院したと先生が話し

病名がわからず3人で病院へ

行ってみました。

これから手術と聞いてどんな重病

だったのかととても心配したのです。

昨日はみんなで沢山食べれたのに、

具合悪そうに見えなかったよねと

話していると、お母様がいらして、

盲腸だったと話してくれました。

そうなんです。

みんなでこれでもかと食べて

帰った後、Gさんだけ盲腸になり

手術入院となったのです。

本人はきつかったでしょうけど、

後でみんなの中では笑い話に

なってしまったのでした。

こんな私達を担任は愛を込めて

4悪達

と呼んでくれていました。

決して悪くはないんですよ(笑)

でもいつも行動する時は4人で連んで

いたからでしょうねきっと。

4人でいれば楽しく

行動は外れてなく

家で父に対して反抗してる

私を責めない

彼女達の存在のおかげで

家を飛び出したり

変な方向に行くことも

なかったのです。

そんな中、父への反抗を考えてしまう

出来事があったのでした。

〜続く〜

ありがとうございます。

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