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自分応援私ストーリー第二弾

今回は自分史ストーリーを手直し
しながら綴っております。

以前タスクに入れて載せた物に
手を加えてまいります。
(現在タスクは載せてありません)
よろしかったらお付き合いくださいませ。

【23話】では、

モンキーズと卓球と楽しい高校1年生

を送っていた話しでした。

盲腸の手術をして、ダブルスの試合

で組んでいた先輩に迷惑をかけてし

まったこと、モンキーズクラブ結成

した事、勉強をしなくなってしまった

事などをお話ししました。

「こんなトラブルはありましたが、

1年生の時は卓球とモンキーズで楽しい

高校生活を送ったのでした。

ところが2年生になるとき…」

で終わっています。

2年生になる時何があったのでしょう

 

【24話】

2年生になるとき、幼なじみで卓球も

ずっと一緒にやってきたYちゃんが

私に相談をもちかけたのです。

やりたいことがあるから卓球やめよう

と思ってるんだけど、一緒にやめない

かというんです。

そんなこと言うなんて、ずっと一緒に

やってきたのにどうしたの?

と聞いても何をやりたいかはまだ

内緒だというんです。

ずっと小さい頃から知ってるYちゃん

が、急に大人っぽく見えました。

凄い、もう将来の事考えているんだ

私はどうなんだろう?

卓球楽しいけど、さっぱり上手く

なった感じしないし、このまま3年生

までこんな卓球三昧の高校生活って

どうなんだろう?

私のやりたい事って何かな?

Yちゃんみたいに何か見つけた方が

いいかな?

もうすぐ春休みになろうとしてました。

春休みになる前にもし決めたら一緒に

やめるって言おう、ていうことになりました。

今までずっと卓球をやってきたのに

やめて大丈夫かなと考えました。

Yちゃんに言われなきゃ、卓球部を

やめるなんて思わなかったでしょう。

多分そのまま卓球は続けていったんだ

と思います。

卓球………卓球…………

人生………人生…………

やりたい事…………

やりたい事…………………

特にやりたいことは正直ありません

でした。

でも、ここで色々考えてみたい、そんな

気持ちになっていきました。

結局私はYちゃんと一緒に卓球部を辞めて

しまったんです。

辞めて、私も自分がやりたい事を模索し

始めました。

モンキーズクラブは、4人の仲間の1人の

お父さんが亡くなられたことで、それと

なく、活動らしいことはしなくなり2年生

になってからクラスが変わってしまってからは

さっぱり集まることもなくなっていました。

赤十字クラブに入ったり、箏曲クラブを

見学してみたり、

やりたい事は

なかなか見つかりませんでした。

大学進学へ向けて、中学生の時みたい

に猛勉強したいとも思いませんでした。

今更卓球に戻りたいとも思いませんでした

ある日、テレビで宝塚の舞台の番組を

見た時男役の人がとても格好良く素敵で、

宝塚に憧れるぅまで、いかなかったのですが、

ちょっといいなあと思ったのです

あんな風に踊ったり歌ったりするのも

いいなあと。

バレエ今からでもやってみたいけど、

できるかな?

心はバレエに傾いていきました。

ダンス部が高校にもありましたが、

練習する場所が、卓球と一緒の小体育館

なので、ダンス部に入るのはダメだ。

その頃妹はモダンバレエの教室へ通って

いたので、母に頼んでそこに習いに行く

ことになったのです。

妹とは全く違うクラスに入ることに

なりましたが、皆さんは小さい頃から

やってるので、とても上手くて、勿論

ついて行くのが大変でした。

半年位習ったでしょうか、発表会を前に

して先生が急死されたんです。

生徒と生徒の父兄の皆さんで、追悼を

込めて発表会をやる事になりました。

保護してくださる先生がいなくなり

衣装のことや、振り付けのことで

個人的に色々言われましたが、

助けてくれる方もいて、

何とか無事発表会は終わりました。

私にとっては初めてのバレエの発表会

でした。

先生が亡くなったので、バレエ教室は

解散となり、私もそこでまた帰宅部の

暇な高校生に戻ってしまったのです。

別に宝塚に入りたかった訳ではないの

ですが、発表会の経験はそれなりに

意義があったと自分に言い聞かせて

いたように思います。

私の人生は将来は?

結局、卓球をやめたことは意味のない

ことだったかもしれません。

たとえ、幼なじみに言われたこととは言え

悩んで自分が出した結論でしたので

元にもどることはしませんでした。

将来の事とか、父親と仲の良い人達は

思春期であっても、色々相談したの

でしょうか?

小さい時から厳しく言われてきた私は

父に相談するということはなかった

ように思います。

母にも相談する前に自分で決めて

事後承諾

それでも、母は私の願いや決めた事を

尊重してくれてたのがありがたいでした。

そんな私ですから自分は平々凡々では

いけない思いがあったかもしれません。

求めていたのは平凡なものだったのかも

しれませんが

思春期の反抗期の始まりだったのでしよう

反逆が格好良いと思うような時期でした。

倫理の授業で自分の将来を考えて

書くということがありました。

その時、平々凡々はいやだ、波乱万丈な

人生を歩む、というような作文を書きました。

先生は

「平凡の中の非凡というのもありますよ。」

とおっしゃいました。

先生の仰った意味はよくわかりましたが、

そんなゆるい人生はつまらない!

なんて生意気に考えていたのです。

不思議なことに

それから私が歩んだ人生は

私が希望した通りの人生へ向かって

いったのでした。

それは、

まずは父への反抗から始まったのでした。

〜続く〜