前回【16話】では
小学校最後の1年間はプレハブ教室。
クラブは人形劇クラブ、地震がなければ
鼓笛クラブだったのに…
それでも人形劇は失敗もあったけど、
楽しい経験でした。
6年生の時の様々な経験はかけがえ
のない物になっていました。
「クラスの皆んなとは地域的に同じ中学に
通うのですが、慣れ親しんだ大好きだった
先生との別れがとても悲しかったのでした。」
で終わってます。卒業後も色々ご心配を
おかけした担任の先生も、10年以上前に
亡くなられました。
【17話】
中学校も、地震で校舎の一部に損害を
受けたようで、一年生はプレハブ教室
で過ごすことになりました。
体育館の中も、仕切られて教室になっている
ため、入学式は体育館でなく、プレハブ教室
が立ち並ぶグランドでした。
よく晴れた日だったと思います。
校長先生のお話しが始まった時
チラチラと雪が舞ったんです。
春先のしかもお天気の良い日に
しかも入学式で降るなんて!
つかさず、校長先生が質問しました。
「こんな風に入学式で雪が降るなんて
これから良いことが待っているのでしょう。
こういうことを言事で言える人はいますか?」
????
突然のことで、しかもそんな言事なんて
知りません。
すると手を上げた人がいました。
「幸先が良いです!」
校長先生は
「その通りです。よくわかりましたね。
幸先が良いといいます。幸せと先と書い
……」
校長先生の話しより、その答えた人に注目
してしまいました。同じクラスの女子で、
その後も頭の良さは評判の人でした。
頭が良すぎて近寄りがたいのですが、
それに加えてお弁当の中身がいつも
豪華で
頭の良い人はおかずも沢山
食べるんだなと思ったものです。
母に頭の良い子はおかずが何種類も
あるから私もそうして欲しいと
しかも彼女のお弁当箱が浅い四角型
の新しく流行りだしたお弁当箱で、
それに変えてと母に頼みましたが
おかずは実行されず、質で勝負とばかり
ピーマンが栄養あるからと、ピーマンが
よく入っていました。
おかげでピーマンは食べれるように
なりましたが、お弁当イコールピーマン
の匂いは高校卒業まで続いたように
覚えています。
娘たちに作ったときはピーマン入れないで
と言われてしまい、新しい野菜でデビュー
したブロッコリーに変えました(笑)
お弁当箱は確か高校に入った時に
新しく買ってもらったと思います。
ずっと欲しかった平たく浅い四角の
しかもピンク色でした。
中学の時はこんなお弁当箱でした。
入学式からお弁当の話しになって
しまってごめんなさい。
食べ盛りの中学生活はそんな感じで
始まりました。
小学校は給食で、地震後も給食は
続いたので、お弁当は最初は嬉しい
物でした。
パンなど買ってきても良くて、たまに
途中のパン屋さんで買っていきました。
ただ、担任が菓子パンは駄目という
先生で、食パンのみ、しかもサンドイッチ
なら良いという限定つきでした。
成長と栄養を考えてのことでしたが、
他のクラスは菓子パンOKだったので
不公平だなと思っていました。
その担任ともクラブを通してお世話に
なることになるのですが、
お弁当事情は私達のクラスでは満足の
いくものではありませんでした。
子供達は不満はありましたが、大人に
なって思い出すと、それで良かったんだ
と思います。
お弁当作り、昨今は冷凍のおかずも充実
していて、毎日作るものにとってはとても
便利になりました。
私も娘達に作ってましたが、大変ですよね。
母には、結構おかずを増やしてとか
文句言ってたように思い出します。
入学式の時の女子のようなお弁当が
羨ましいこともありましたが、
成長するほどだんだん量を食べるように
なり、ご飯の量も増え、成長盛りのお弁当
作りは母には大変だったろうなと思います。
学校の途中にあるパン屋さんのポテト
サンドイッチが美味しくて、一度1斤分
買って食べた事があります。
本当によく食べていました。
女子は中学時代で一番身長が伸びると
言われますが、
例にもれず、私もよく食べ、よく動き
卒業の頃には母と同じくらいの
身長になっていたと思います。
~続く~