「私ストーリー」

前回【15話】では

新潟地震が起こった時の事をお話し

いたしました。

小学校高学年では、合唱隊で合唱

コンクールに出場、新潟国体で鼓笛隊

としてマスゲームに出場と、忙しくも

楽しい学校生活を送っていました。

順調な生活な、新潟地震で崩されて

しまいましたが、そんな中でも皆んなで

たくましく過ごせた事はかけがえの無い

経験でもありました。

「だからこそ、普段日常を大切に生きて行か

なくてはと切に思うのです。」

で終わっていました。

前回の記事はこちらからどうぞ

【16話】

地震の後、国鉄のグランドにプレハブ

の教室が建てられ、1年生から6年生

までそこで勉強する事になりました。

夏は暑く、冬は寒くて雪が降ると隙間から

教室の中にも雪が降ってくるという、

不自由と言えば不自由ですが、子供達は

たくましく立ち直っていきました。

この裏側の空き地で、休み時間にはクラスみんなで

大縄跳びをしたり、ドッジボールをして遊んだものです。

地震がなければ、6年生のクラブ活動は

鼓笛クラブに入り、中太鼓を担当する

はずでした。

でも、津波で鼓笛の楽器類は

泥に埋まった為、他のクラブを選ぶしか

ありませんでした。

私は悩んだ挙句、自分でも何故そのクラブを

選んだのかわからないのですが、

人形劇クラブに入ったのでした。

新潟国体の時はリラグロッケンでしたが、

鼓笛隊の小太鼓や中太鼓のバチ捌きが

格好よくて、マーチングマーチのバチを

練習してたので、それができなくなるのが

とても残念でした。

だから人形劇は自分でも意外な選択だった

のでしょうね。

思いの外楽しいクラブでした。

まず、脚本を決めます。

役を決めると人形はそれぞれが自分で

作成します。

新聞紙を水で溶かしてぐちゃぐちゃに

したらそれをまとめて顔を作ります。

真ん中に指を通せるようにします。

洋服を作って頭に付けるのですが、

頭がなかなか乾かなくて、私のだけ

作成が遅れてしまいました。

人形の作成と同時に劇の練習も重ねて

行います。

朝授業が始まる前に

各クラスへ行って人形劇を見せます。

最初は一年生からでした。

私の人形は何故か乾きが悪く、洋服を

付けられなくて、あたまは指にはめて、

洋服をかけて演じました。

いよいよ登場したところで、首が外れて

舞台にしていた板の向こう側に落ちて

しまったんです。

一年生は大爆笑!そんなハプニング

も喜んで受け入れてくれました。

前に座っていた子が頭を拾って

持ってきてくれました。

「あはは、頭が取れちゃったよ!」

そのセリフでも大爆笑!

初出場で大失敗を演じましたが、子供達は

喜んでくれて、誰が喋ったのか

次のクラスでも、頭落としてコールが入って

ました(笑)

人形劇クラブは各クラスを回って終了と

なりました。

頭はきちんと洋服と繋がり

その後は落ちる事はありませんでした。

体育館が壊れてなけれぼ学芸会で人形劇

もやったんでしょうね。

一回公演ではなく毎日各クラスにまわり

私達はすっかり上手になっていました。

2回目の公演は立ち切れになってしまった

ように覚えています。

プレハブ教室での人形劇公演はそれなりに

楽しく、大失敗はしましたが、一年生に

受けた事がいい思い出となりました。

そして年が明けて3月卒業式を迎えたのでした。

卒業式は近くの高校の体育館で行われました

小学校最後の年は、悲喜交々多くの貴重な

体験を重ねた年でした。

クラスの皆んなとは地域的に同じ中学に

通うのですが、慣れ親しんだ大好きだった

先生との別れがとても悲しかったのでした。

~続く~