雅子の自分史ストーリー

【10話】

小学校入学してすぐに

ピンクのアパートへ引っ越し

敷地内の石の滑り台や白詰草の

咲いている草原で、楽しく子供時代

を過ごしたお話しでした。

危険な遊びをやって怒られたことも

懐かしい思い出です。

「この時は事なきを得たのですが、

とんでもないことを起こしてしまうのです。」

で終わっています。

 前回の記事はこちらからどうぞ

【11話】

幼稚園の時は、路線バスに乗って

ひとりで幼稚園へ通っていて、

母の実家へもバスを乗り継いで

行くことがありました。

小学校へ入ってからも時々

学校から帰ってランドセルを

置いてから母の実家へ行って

仕事帰りの母を待つことが

ありました。

その日も、学校から帰ってきたら

母の実家へ行くことになって

いたのでランドセルを置いて

バス停へ向かいました。

バス停は道路を渡って向こう側に

あります。

当時そこに横断歩道があったかどうか

よく覚えていないのですが

道路を渡ろうと前を見ると

向こう側に映画の看板が立って

いて、何やら面白そう。

昔の映画の看板て手書きの

キャンパスで、女優の顔がとても綺麗で、

パッと興味が惹かれたんですね。

何だろーなーと思って前に足を

出した……

そこまでは覚えているのですが、

後の記憶がありません。

気が付くと誰かに抱っこされて

るんです。

どうやら気を失っていたようです。

左足がすごく痛い!

私を抱っこしてたのは男の人でした。

「あ、気が付いた?おうちはどこ?」

私は足が痛くて泣きながら家を教える

のですが、母は勿論いません。

「お母さんいない…」

やっとそう言うと

「じゃ、お友達の家は?」

と言われて、いつも仲良くしてる家

まで抱っこされていきました。

何故抱っこされてるのか、何故

左足が痛いのか、何が起こったのか

考える余裕はありませんでした。

ただ足が痛い!

助けて!お母さん!

同じアパートの一階に住む友達の

家に行って男の人が喋っている事で

事態がわかってきました。

私は映画の看板を目指して車の来るのを

確かめず横断しようとしたのです。

そしてさっきの男の人が運転する車に

引かれてしまったんです。

………………

交通事故です。

急いで国鉄の大きい病院へ連れて

行かれました。

今だったら救急車ですね。

その男の人の車に乗せられ病院へ

着きました。

左足首から下にタイヤが乗っかった

んだそうです。

急いでレントゲンを撮られました。

足首切られちゃうのかな

足がなくなっちゃうのかな?

恐怖感と心細さで私は身体を動かす

こともできませんでした。

ベッドに寝かされた頃

血相を変えて父と母がやってきました

その顔を見てことの重大さが私にも

わかったのでした。

幸い骨に異常はなかったのですが、

腫れがひどく入院することになりました。

「左足にタイヤが少し乗っかてしまった

けど、まだ子供で骨が柔らかいので

折れずに済んで幸いでした。」

医者が親に説明してるのを遠くに

聞いていたのを覚えています。

入院は二週間でした。

子供って興味があるものを見つけると

周りが見えなくなります。

私はその典型的な例でした。

だから自分が子育てしている時は

注意しても注意してもしきれないくらい

注意しましたっけ。

私を引いてしまった人はまだ若い人で

とても良心的な人だったそうです。

毎日お見舞いに来てくれました。

両親は、娘も悪いのでと咎めなかった

そうです。

私は走るのが早かったのでいつも

運動会では一等を取っていました。

もう走れなくなるのではと悲しくなりました。

一年間走ることは止められましたが

その後は順調に回復し、また運動会

ではリレーにも出してもらえるように

なっていました。

この交通事故の後、

私は後で気が付いたのですが、

そこに横断歩道橋ができていたんです。

もしかしたらそれは私がそこで

事故を起こしたからかも知れません。

ここでも私は命を取り留めましたが

親に心配をかけてしまうという…

親不孝な娘でした。

さらっと書いてましたが、当時

交通事故を起こすことってそんなに

ない事だったかも知れません。

もしかしたら交通事故を起こしたこと

は学校中に知れ渡ったのかも知れません。

本当に人騒がせな子供だったかも…

命を失うかも知れない…そんな経験を

この年迄で何回してしてきたのでしょう?

命拾いしてきたのは

後ろで守ってくださってる方のおかげ

だったのかも知れませんね。

~続く~