60代ヒーラーの雅子です!
雅子の自分史ストーリー
前回【7話】は
バレエを習ったはいいけど
幼稚園から更に歩いて30分以上
かかるバレエ教室へ行くのが嫌で、
循環バスだったことをいいことに、
ぐるぐる回って、結局乗った場所で
降りてしまい、バレエもやめて
しまったという話しでした。
「ああ、残念!
人生初めての挫折でした。」
で終わっています。
【8話】
小さい時の挫折は大したこと
ないように思いますが、私は
それから何回も挫折を味わって
いくのです。
これらは生まれつきの性格的な
ことが原因かも知れませんね(笑)
さて、顔を引っ掻かれるという
通り魔事件で恐怖を味わった私
ですが、更に
命が無くなっていたかも
知れない出来事
があったのです。
それは寒い夜に起きました。
覚えてるのは、母に起こされ
それまで熟睡してたのですが、
「置きなさい、コート着て」
という声で、眠気まなこでコートを
着ました。
母に手を引かれ玄関のドアを開けると
目の前が真っ赤になっています。
それが最初何なのかわからず、
その赤い炎にびっくりした私は
恐怖感からギャーッと泣き出しました。
住んでいた木造のアパートが火事に
なっていたのです。
物心着いた時からずっと暮らして
いた所
隣近所の子たちと廊下
で遊んだり中庭で遊んだアパート
(当時は寮といっていました)です。
父と母は近くの親しくしていた
味噌屋さんに私を預けて、
「すぐ戻ってくるから良い子に
してるんだよ!」
と言って出て行きました。
取り出せる物を取りに行ったのでした。
その味噌屋さんからはアパートが
燃えているのが見えました。
目の前を線路が走っていて踏み切りの
そばで見通しが良かったのです。
私は泣くのも忘れて燃え盛るその
アパートを見ていました。
夜中ずっと燃えていたアパート
やがて二階建てのアパートは焼け落ち
ドドッと崩れていくのが見えました
その光景は今でも目に焼き付いてます
その崩れ落ちる所を見た後私は眠って
しまったのでしょう、
覚えてるのはそこまででした。
私達親子が住んでいたのは二階でした。
火事が起きても端の角の部屋だったせいか
父達は騒ぎに気がつかなかったそうです。
誰かが気が付いてドアを叩いて起こして
くれて一命を取り留めたのです。
火事は全て焼き尽くしてしまいました。
私を味噌屋に置いて両親は荷物を取りに
行ったそうですが、二階で殆ど取り出す
ことはできなかったそうです。
黒塗りで真ん中に模様の入ったタンスや、
鏡台、父が出張の時に買って集めたこけし、
こけしはいくつか持ち出せたようですが、
結局布団や少しの衣類だけ持ち出せた
だけだったそうです。
「手に持てるだけ持ってパッと見たら
その日買ったばかりのシュミーズ
(スカート状の下着の事)が干して
あったので、それをパッと持ってさ
……」
火事の話しになると、母はよく
笑い話のようにその話しをしてました
母がまだ20才代の時です。
切羽詰まってるから持って出たのが
買ったばかりの下着だったなんて
笑えますね。
父は私が長女なので、沢山写真を
撮ってくれてたと思うのですが、
少しは持ち出せたようでしたが、
多分大分焼けてしまったんだと
思います。
手元にある写真は配ってあった物を
焼けてないだろうと、返してくれた
物でした。
火事の後、
翌日だったのでしょうか?
覚えているのは、朝早く
父の引くリヤカーに乗せられ
そのリヤカーを無言で引く
父の後ろ姿が元気なく
まわりの空気が茶色で薄暗く
重たく感じられたものです
父も母も絶望感に打ちひしがれて
いたんでしょうね。
その思いがひしひしと伝わって
リヤカーに初めて乗せた貰った
嬉しさはしょぼんと萎んでいました
でも命だけは助かったのです。
~続く~