前回【2話】は私の名前の由来についてお話しました。

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私は雅子という名前があまり

好きではありませんでした。

名前が変えられるなら

小百合がいいなあと思って

いたのでした。

折角神様につけて頂いた名前なのに

罰当たりですね(笑)

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で終わっていました。

前回のお話はこちらから

【3話】

新潟市は全国一位のお寺の多い町

私が生まれた新潟市はお寺の数が全国で一番多い年なんです。

京都とか奈良が一番と思うでしょう?でもそうでなないようです。

古町という昔の繁華街の道路脇には

お隣さんのそのまたお隣さん

という感じでお寺が並んでいます。

(この写真は現在の様子です。お墓がひしめき合ってるのがわかりますね。

お寺のような屋根の向こうにビル、その向こうにもお墓とお寺の屋根が見えます。)

私が通っていた幼稚園もそんなお寺の付属の幼稚園でした。

現在新潟の古町は昔ほどの賑わいはなくなり新潟駅周辺の方が栄えているようです。

名前の表す通り今や古い町。

古町となってしまったようです。

それでもお寺やお墓はそのまま受け継がれてるんですね。

幼稚園は一人でバスに乗って

さてお話にもどります。

今は遠くから通う園児には幼稚園バスが当たり前のようになってますね。

でも、私の頃はバスといっても路線バス、

しかも年長さんになってからはひとりでバスに乗って通っていたのですよ。

昔はパスには女性の車掌さんがいて切符を切ってくれるんです。

「切符を切る」

と言ってもよくわからないかな?

今はSUICAとかPASMOで、ボンと押すだけですが、

当時はパチンと切符に穴をあけて一回乗ったことになるのです。

駅の改札口に車掌さんが立っていて手には穴を開けるハサミ

改札鋏を持ってたのはどれくらい前のことだったでしょう。

子供の頃には切符とこの改札鋏のおもちゃがあったのですが、いまは見当たらないですね。

昭和30年代の頃の話しです。

バスの車掌さんは、当時は今のCAのように憧れの仕事でした。

毎日乗る訳ですから車掌さんとはいつしか顔なじみになっていきました

色白の綺麗な優しい車掌さんがいて

その車掌さんのバスに乗れた時は嬉しかったことを覚えています。

家に帰って近所の友達とバスごっこをして遊ぶ時は私はいつもその車掌さん

になったつもりで切符を切る真似をしていたものでした。

まだ幼い子が一人でバスに乗って通うって、慣れるまでは大変ですよね。

私もとんでもないバスに乗ってしまい母をかなり心配させてしまったことがあったそうです。

私は全然覚えていませんが(笑)

母は多くは語りませんが

「違うバスに乗って飛んでもないとこに行ってしもて(しまって)…」

と語ってくれました。

母ももうその頃の事は覚えてなくてもう詳しく聞くことはできません。

何しろ60年以上前のことですしね。

~続く~