ヒーラープラスαの雅子です!

前回予告いたしました自分ストーリーの始まりです。

2019年12月の冬至から書きました

雅子のスピリチュアルストーリー

自分史ストーリー

今回は自分史ストーリーを手直し

しながら綴ってまいります。

以前タスクに入れて載せておりました

物に手を加えてまいります。

(現在タスクは載せてありません)

お時間ございましたら

良かったらお付き合いくださいませ。

私が生まれたのは1953年の1月

昭和28年です。

第二次世界大戦が終わってから8年。

日本は高度経済成長を目指して皆で

日本復興を目指していた頃かと思います。

それでもまだ日本には戦争の痛手が

残ってる頃だったでしょう。

懐かしい昭和時代

思えばあの頃の日本は過ごしやすく

子供たちにとってもいい時代だった

ような気がします。

私は小学生の頃は毎日日暮れまで

外で遊んでいました。

高度経済成長の始まった昭和の中で

私はどうやって大人になってきたのでしょう

生まれてから結婚をするまでを綴って

まいります。

自分自身の反省も含めていざ決断という

人生の節目でどう私が進んできたか

反面教師のような立場で綴りなおして

行きたいと思っております。

どうぞ、お暇がございましたら

お付き合いくださいませ。

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【プロローグ】両親の出会いから

父は、実家は文房具屋を営む家の次男

で日本国有鉄道(今のJRの前営)の事務職員

母は、父親(祖父)が鉄道の機関士

だったことから、父の勤める職場で

お茶汲みのような仕事をしていたそうです。

母からよく聞かされた父とのエピソード

仕事中なんだけど、父が母にそっと

目配せして廊下にでるんですって、

そこでちょっと話しするのが凄く

楽しかったとよく話してくれました。

でもそうやって付き合う前の出会いの

話は聞いたことなかったなあ。

母の昔の写真を見ると娘の私が言うのも

変ですが、かなりの美人でした。

(私は父親似です残念ながら笑)

4人姉妹の男子1人の5人兄姉

母は末っ子で皆に可愛がられて

すくすくと育ったようです。

明るくて人への気配り優しい母は結構

もてたようです。

そんな母を射止めた父は幸運だった

と言えますね。

父が母をもらいに挨拶に行った時

祖母が、わざと父に辛子のきいた

おひたしを食べさせたんですって

それをちゃんと食べるかどうかで

祖母は父を見極めたらしいです。

祖父と祖母は昔風の遊びこごろの

ある人たちで、母の兄弟はみんな

伸び伸びと楽しい子供時代を過ごした

ようです。

勿論戦争の間は大変だったでしょうが。

そして二人は結婚しました。

父27才母20才の時でした。

祖母は末っ子の母が結婚した時

既に上の姉たちも嫁ぎ、これで

皆がいなくなると一番寂しかった

と話してくれました。

家族愛に包まれて育ったんですね。

父は母とは逆で姉一人他は男子

4人の結構厳しい家庭だったようです。

母が父の家に行ってもいつも怒り声

が飛んでてねえ…と言ってました。

そんな育った環境が全く違う二人が

恋をして結婚をしました。

結婚して2年後に私は生まれたのでした。

母の実家で病院での出産ではなく

まだまだ自宅出産の時代でした。

~続く~