私とスピリチュアルとの出会い

「雅子のスピリチュアルストーリー」

前回<26回>では

セミナー終了後30日以上の練習

をしてから試験を受けて漸く

リコネクションのプラクティショナー

の称号がもらえるということで、

ボディを用意してがんばりましたが

一発合格はできず、二度目で合格、

リコネクションのプラクティショナー

になった実感はwebで証明書が送ら

れてきて漸く湧いた私でした。

「それで漸くプラクティショナー

になれた実感が湧いたのでした。」

で終わりました。

  前回の記事はこちらから

私とスピリチュアルとの出会い
「雅子のスピリチュアルストーリー」<第27回>

リコネクティブ・ヒーリングの

プラクティショナーの称号は

セミナーを受講するだけで

取得できました。

でもリコネクションは

セミナーだけでなく終了後の

練習と試験を受けて合格して

初めて称号を取得する

というハードな道のりでした。

一発合格はできず、

二度目の試験で合格

漸く

リコネクション・サーティファイド

プラクティショナー

という称号を取得することが

できたのでした。

(英語の賞状が貰えるなんて嬉しい)

私の最初のリコネクションの

クライアント様は

実家の母でした。

リコネクションのプラクティショナー

称号を頂き、宣伝用のチラシを作ったり

ホームページを作成したり、

実際仕事として始める為の準備をしている時

新潟の老健に入所していた父が

危篤で入院したと連絡が入ったのでした。

一時は回復したものの、

それから約一か月後

老衰で亡くなりました。

入院中、母は毎日父の所へ、

足の悪い母に付き添って、結局

私は父が亡くなるまで新潟に

いたのでした。

それを許してくれた主人、

後の様々な手続きがおわってから

帰ってくればいいといって言って

くれた主人には感謝でしたね。

こんな風に主人に素直に感謝できる自分に

戻れたのも、プラクティショナーになれた

という自信からきてるのでしょうか?

で、話しが逸れてしまいましたが、

父が亡くなり、すっかり気落ちした

母に、リコネクションのセッションを

提供したんです。

母には

「これは特別なヒーリング、ばあちゃん

が元気になるヒーリングだからね。」

と話しました。

「へえ?宇宙と繋がったらどうなるんだ〜?」

「元気になるんさ。」

(新潟弁で元気になるんだよ)

私がそう言うと母はゆっくり

ベッドに横になりました。

〜次へ続く〜