昨年のことです。

私は上京した妹と親戚の家まで日帰りで行ってきました。

実は、妹と二人でそんな風に出かけるなんて昔だったら考えられないことでした。



私と妹は6歳年が離れています。私が小学校一年の時に妹は生まれました。
ずっと一人っ子で、両親の愛情をひとりじめしてきた私は、妹は可愛いけど邪魔な存在にもなっていったようです。


特に父の愛情が妹に注がれることに嫉妬してしまったのでしょう。
ある日、父が妹と出掛けて帰って来た時妹が手に持っていたぬいぐるみを見て、父に抗議をしたのが始まりだった気がします。

そのぬいぐるみは、背中にチャックが付いていてカバンのように持ち歩けるもので、私がとても欲しかったのに買ってもらえなかったものでした。


そしてベルトの付いたお出かけ用の靴も、どうして妹だけ?と泣いて父に言ったものです。悲しくて悲しくて一晩中泣いてたのを覚えています。


妹への嫉妬から父への愛情飢餓は主人への不信に陥るトラウマになったようです。(この事は後に私が鬱になった時治療として催眠療法をした時の先生が診断されたことですが)

父は長女ということで私には厳しく接していました。
甘えることができない分、妹への八つ当たりは段々大きくなっていたように思います。

長女長男、上の子は下に妹や弟ができるとそちらに愛情が移っていくことを敏感に感じ取り、下の子にちょっかいかけたり意地悪したり何かしらの行動をおこすことがあります。

とまあ、そんな何やかんだで妹とは良い姉妹関係を作ることはできずに私は18歳の時に進学で上京しました。妹はその時小学校六年でした。

生まれた時は髪が多くボサボサでまるでゴリラのように見えた妹は成長するにつれ可愛い女の子になっていきました。それも嫉妬の原因になっていたようです

父は決して私を憎んだ訳ではないのです。ただ長女として厳しく育てなくてはいけないというポリシーを貫こうとしたのでしょうね。


姉妹としては私が妹に姉としての愛情を与えられなかった年月が続きました。
お互い母となり、子供達も巣立っていって漸く私は妹を受け入れることができるようになっていったのです。


主人との事もあり、人間関係を上手に繋げられなくなった私はその頃ずっと妹とは疎遠になっていました。今思えば、私って一体何だったんだろうって身がちぢむ気がします。

もしあの時リコネクティブ・ヒーリングやリコネクションに出会えてなかったら…

今もまだ色々なことを引きずって暗い人生真っしぐら

だったかも知れません

今は本当に仲良しになりました。しかも妹も私も韓流大好き

妹はもう韓流の事良〜く知っていて色々教えてくれるので、スマホ片手にに検索しながら二人で韓流の話しが途切れません

私の場合は
リコネクティブ・ヒーリングと極め付けはリコネクション
でした。
鬱の心にヒーリングを届けたかったのに、それとは違うところにヒーリングが行き、人との関わりを戻せる自分になった結果、いつのまにか鬱が治っていったようです。
面白いですね

リコネクティブ・ヒーリングもリコネクションも病気を治すことにフォーカスしていません。どこにヒーリングが届くのか、プラクティショナーにもわからないのです。
でも私のように結果的に元気になってるというのが本当に不思議です。

貴女は妹、弟に、または、姉、兄に嫉妬してましたか?

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